【Fate】種別は違えど、「なにか一つの目的のために生きる求道者」は生き方が似通っているという話
いやまあ編み出したのもそうだけど決着のつかない宿敵に勝つ為とかじゃなくて燕を切るためって
そんなことしなくても燕は斬れるって言われてるからな
恐らくだけど、どこかで劇的な飛躍があって燕を斬れたので、それをさらに錬度をあげたんだろうな。いずれにせよとんでもない
武で根源に至ろうとした初代遠坂家がみたら「やっぱり私は間違ってなどいなかった」って袋小路にいきそう。出会わなくてよかった
極道でも根源には至れるんだよなあ
そりゃあ道を極める人達だから……?
あれは日本特有の魔術社会にとってヤのつく自由業が便利なシノギだったから……(ヤがシノギとは?)(今はむしろヤで食べてくの大変そう)
大丈夫だ。永人。貴方の理想は凛に受け継がれた。マジ狩る八極拳は強大だ。いずれうっかり宇宙を滅ぼして魔法に至るかもしれないとも。
>マジ狩る八極拳
それは誤字か?
誤字だろうけどあんまり間違ってないかもしれない
(……どうしよう。普通にマジ狩るでタイプしたこと言えそうにないぞ……)
あながち間違ってない感じがあるね
無の境地と根源混同した初代の勘違いでしかないから……
そもそも方向性が似て非なるもの
ペペさんの実家もそこら辺が噛み合ってない気がする。初代が接続したの、本当にそれ天狗ですか?
しれないというか、多分それだと思う。修験道を極めようとしたら全然違うのが向こうから近づいて今までにないものになったんじゃないだろうか。そして、比較しようがないから、代々間違った手段で方向違いのものを目指してたのではないだろうか
編み出した背景もだぞ。
農業の傍ら素振りし続けて、燕返しを開眼した瞬間に事切れる。その才能もさることながら、何の報酬もないのに、死ぬまで剣を振り続ける精神性がヤバい。
多分本人は、完成させてみたかったんじゃないかな?
完成させたところで、それを披露する機会もなければ、それで何が得られるわけでもない。
かつて見ただけの剣聖の剣を追いかける、なんて命題で普通はそこまでできぬよ。そういう意味では、士郎の生き方に似ているかもしれないね。
小次郎とは対照的で、士郎に似てるのは葛木先生よね
あの人は長年の訓練の末に、初見という条件はあれど鯖を打倒する程の拳の技を身につけたのにそれを振るえるのは標的一人だけ。それが済めば後は用済み
本来ならそこで果てて終わる筈だったのに、何故か生き続けてしまった。本人が無自覚の内に抱いた「誰かのためになりたかった」という望み故に
イメージカラー無色についた染み、なんだかんだキャスターを愛しているところも好き。
二人で幸せになりやがれ!!
登場しねえかなあ
士郎とも違う気もするな。士郎は幼いときに抱いた仮の理想と現実のギャップとせめぎあってたけど、葛木先生は明確に自分がしたいことのために生きてる
種別は違えど、「なにか一つの目的のために生きる求道者」って生き方が似てるなあ、ってことかと。
人間としての幸福を手に入れる気が皆無、自分の意志は無く、ただの歯車として社会の一部になるだけ、というのがきのこ先生の葛木の人物評だったりする
彼はあらゆるものに希望も不満も持たない、ただ与えられた役割を果たすだけ
だから「朽ちた殺人鬼」
それがメディアと出会うことで少しずつ変化していってるというのはあるけど
そういや小次郎の全盛期って燕返し編み出した晩年じゃないんやな・・・
身体的には若い方が強い。だから若い身体で老境至った技量持ちの今が1番強い
奴の場合どの時点で切り出したとしても精神性そんなに変わんなそうだし
なら肉体面での全盛期の方が役に立ちそうだし
全盛期の肉体に磨き抜いた全盛期の技を併せ持つ。実はサーヴァントって本来そういうもの。
ただ肉体に精神が引っ張られて精神面が肉体の全盛期準拠で未熟な部分が出てるケースや
本人の認識上全盛期は子供時代だからで子供の姿だけど声や人格含めて大人時代の精神っぽいやつもいたり
一口に全盛期の体に晩年の技と言っても
サーヴァントごとに状態が割と違うという
技は出来ても十全に振るえる状態じゃなかったからな
だから1番技を振るえるような歳が全盛期なんでしょう
技量は精神に引っ張られる事はあるが基本的には据え置きっぽいからな……
精神的には最初から最後まで変わらんだろうし、死ぬまで刀振ってただけだから劇的に変化する機会もない
最初から悟ってるある種の怪物
では管理人がミラクル求道者に共感を覚えるのも…?
それは単なるアル中繋がりや管理人www