【Fate】シロウの人類救済の夢は士郎や切嗣にその他の救済志望者にどう思われるのか
※Apocrypha5巻のネタバレ注意
でもジャンヌのように、多くの犠牲を、アポで言えばアタランテが救いたかった子供たちを、超えて行った先に人類が「救済」に届くと信じることは究極的に人類を肯定しているなと思った
そして救済に届くかもしれない聖杯を持ち去ったジークは確かに邪竜なんだな…と
その理論だとジャンヌも聖女じゃなくて邪な女になるぞ
聖女も魔女も後世の人間が勝手に決めたことだからなー。
ジャンヌダルクそのものが魔女であり、聖女であるって認定受けてたし。
たとえその手で救いきれない大勢の人たちがいたとしても
目の前の誰かを助けたいと思う心は尊くて、誰にも否定できないものだ
…って感じなんだろうしなー。
その道が険しく、血塗られたものだったとしても躊躇しないのが流石というか
損得勘定の天秤が完全にブッ壊れていると思う。
そうそう。どっちとも取れるんだよ。
邪なものと聖女が同じサイドにあるのは面白いな、と思った
士郎やエミヤ、キリツグ、虫爺やらの
人類救済志望者、正義の味方はどんな反応するかちょっと気になった
マキリの爺ちゃんが堕ちる前にやりたかった事を全人類規模でやろうっていうんだから
マキリは手を貸すだろうな
事実、四郎に大聖杯の情報提供してたの間桐と遠坂だし
あの2家、この世界だと今どうなってるんだろうな
3巻でマキリは諦め、遠坂は別のアプローチで根源行き目指すと書いてあったから、
遠坂は武道で根源目指す方向に再転換してたかもしれない、遠坂初代の永人式で
でも二世がライネス以外に手を焼いてる2人組がルヴィアと凛の事っぽいからその辺どうだろ
なんだかんだで士郎(とエミヤ)は否定しそう
そもそもあいつにとっての理想(結果)は追い続けるものであって実際に叶えちゃダメって考えてるような節があるし
エミヤはどうだろ
士郎は分からんなあ
ちょっと思い出せない
人類規模の闘争という結論に至ったのはEXTRA世界が行き詰まって人類に先が無い停滞し衰退してく世界を肯定出来なかったからだから
第三魔法による救済がただ単に争いを否定するのではなく人類の先行きを広げると信じられるなら認めるんじゃなかろうか
発展性が望めない以上、トワイス的には受け入れられないんジャマイカ?
物質的にはそうでも魂的には違うんじゃない?
桜が第三魔法利用して魂を永久機関に無尽蔵の魔力を生み出してたし
シロウが「人類は天の杯を掴み、無限の星々に至るのだから!」って聖杯に叫んでる
まあ支配ではない以上、誰もこれ以上の発展を望まなければ宇宙に向かうことなく
永遠に地球や地球のあった場所にのんべんだらりと人類が留まる可能性もあるだろうけど
みたいな風に四郎の話を拒絶する人は沢山居そうだな(笑)
何より完全な不老不死だし止まる奴が進む奴の足を引っ張る事がない
Zeroの三人の王様が皆違った在り方であったようにゲオルギウスさんも天草やジャンヌとはまた違った考えを持つのだろうか
何となくゲオルギウスさんがリストラされた理由が分かったような気がしてきた
ゲオさんのスタンスは性善説であり悪人正機説なんじゃないか
企画の設定を読むにゲオさんは、人は元から賢く善なる生き物で心が弱いと悪を為してしまうという考え方
だから人類全体の救済は、まずもっとも弱い人々である悪人を救うことで為されると思うんじゃないかな
早い話、シロウよりだけど手を差し伸べる範囲が狭いイメージ
あとモードレッド獅子号の死に様のかっこよさよ
一番重要なのはガードの堅すぎるアタランテちゃんが、カリュドン化すると黒パンチラすることです
これ一番重要
俺だけじゃないよな
アタランテちゃん猪でも可愛いよぉ
アタランテの神話の最後の逸話で同人作れるヨォw
ヘボい男がせこい手でアタランテちゃん嵌めて嫁に貰うとか最高だろオィ
普通に考えたら人口爆発だな
不老不死が実現したら後回しでいいやーが永遠に後回しになって
平穏だけど死ぬほど退屈そうでしかも死にたくても死ねないディストピアが完成しそうだな
二十七祖にはそれに陥りかけてるのもいるけど
領地争いゲームしたり、関係なく研究に耽ったりしてるのもいるから
結局は本人のやる気次第じゃないかな?
そのやる気の原動力が欲望だと思う
不老不死になったらその欲望の大半が解消される気がして
少なくとも本能に根差す欲求はなくなるだろうし
その上で向上心を保つのは人間には無理なんじゃないかな
不老不死の在り方次第じゃないかねー?
ギルが拒んだ不老不死みたいに植物のようになるのだったらそういうことも十分ありえるだろうけど
EXTRAにおける魔術師の新しい魔術が「電脳空間における魂の物質化」
肉体捨てて霊子虚構世界に移したキアラが「その在り方は伝え聞く第三魔法、魂の物質化であるヘヴンズフィールに近いと思われる」
とか称されてるが、特に向上心失った様子もなさそうだし
物質化した魂として生まれ落ちてるベオが死への恐怖はないし退屈は覚えてるけど欲求がないわけでもないを見ると
やはり人それぞれなんじゃなかろうか?
大多数は安寧と楽に溺れて、常に前を向けるのはやはり一種の天才や怪物だけな気はするけど
怠け者になるやら死にたくても死ねないやら
みんな不老不死になっても根本的な解決にはならないってことに気が付きそうなあたり
四朗ってやっぱキリスト教の人なんやね
それがジークだったりジャンヌだったりしたのかもしれんが
ジャンヌもジークも結果(人類がたどり着く)よければ全てよし踏み越えた犠牲?罪(罪悪感めいたもの)は背負うからね^っていう何の贖いにもならん思考だろと思ってしまった
結局、現実に苦しみ続ける人たちの存在に耐えられるか否かの違いだけだったんだろう
結局四郎も士郎と同じで”我慢できない人”だったってことかね
国を救おうとして途中で用済みになった聖女様とは
そもそも抱いていた疑問が違うというか。
本当にあれで良かったのか? …って疑問をいつまでも抱き続け
ついには天の聖杯を求めるにまで至った天草の苦悩はいかほどのものか。
んで、同じ疑問に苛まされながら、それでも前に進もうとする
ジャンヌの偉大さというかとんでもなさがこれまた凄い。
どちらも聖者の名に恥じない逸材だと思いますた。
やはり士郎とアーチャーはシロウの救済を受け入れられないという意見が多いですね。
対して切嗣さんは賛同しそうという意見もわかるのだ。
あの時空で切嗣とシロウが出会わないのもある意味で抑止力の成せる技なのかもしれない。
この辺の違い結局は人間を信じられるかどうかになるのかと思ったが
信じているからこそこういう手段をとったとも言えるのかも。
何にせよ生半可な気持ちや動機では人類救済という行動はできないのは確かであると思う。
シロウさんに関しては方法が第三魔法という単純だったのは賛否分かれるでしょうが
個人的にシロウさんの心情がわかり悪しきものが無かったことに安堵した管理人なのであった。
切嗣「人類が救済されるんですかーヤッター」
アインツベルン「第三魔法が実現するんですかーヤッター」
ハッピーエンド!