【FGO】彼岸にて燃え盛る織田信長。riokaさんの「日本式甲冑ノッブ」
最近出してないけど個人的には気に入っている絵だよ。 pic.twitter.com/yV2Ubiun47
— rioka🔥コミティアM10b/連載中きららFW (@moorioka) 2020年10月27日
戦国の世に相応しい出で立ち
いつもの軍服とはイメージもかなり変わる。これは良いノッブ。
最近出してないけど個人的には気に入っている絵だよ。 pic.twitter.com/yV2Ubiun47
— rioka🔥コミティアM10b/連載中きららFW (@moorioka) 2020年10月27日
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コメント
普段がマント付きの和風軍服って感じだから、甲冑は凄い新鮮に感じる
※4608369
割とガチで帽子なくなるとただの黒髪ロングの美少女になるからね、仕方ないね
姉上ェェェェェェェェェェ!! ちょっと鴉の駆除するので待って下さいねェェェェェェェェェェ!!
戦国当時の格好をした霊衣出ないかなあ……
いや軍服チックなあれももちろんかっこいいんだけど
そいやー最近の和鯖は最初当世風の格好で三臨で生前の姿になるヤツ増えてきたな
やっぱ1臨から3臨全部当世風じゃなくて生前の姿も欲しいとかいう要望とかあったんだろうか?
南蛮胴が日本に入ってきたのは本能寺の変より後、信長所用の鎧は和式鎧のみが伝わっている。故に実は信長の南蛮甲冑姿は、考証的には「まずありえない」代物だったりする
※4608368
どうして姉上に甲冑姿の霊衣がないんですか?(現場信勝並感)
美しい
日本はまぁ烏は死を連想させる鳥であり
同じく死を連想させる彼岸花が咲いていることから死体が転がってるんだろうなって予想は経つけど
ただただ美しい
同人誌収録のカッツ目線のえげつないシリアス漫画に出てきた普通の着物袴な男装風シンプル衣装(帽子無し)とか真面目に見てみたいけど叶わんかなあ
弓ノッブ配布なのが惜しまれる(魔王も好きだけどあれは可能性の集合体だからネ!)
※4608368
織田信長の甲冑というと、輸入品の南蛮胴というイメージが強くて、オーソドックスな当世具足とか違和感がすごい。
いや、間違いなく、そちらを着ていた時期も当然あるんだけども。
※4608385
魔王ノッブは一応当世風甲冑になるのでは?
アレンジがかなりはいってるけど
そういや、甲冑といえば、前に友達が「日本の鎧って防御力低そうだよねー。鉄とか使ってないんでしょ? 木とか竹で作ってるんだよね。そういう鎧って意味あるのかな」とか言ってて、おもわず「なん……だと……!?」ってなった思い出。
日本の鎧は金属製じゃないとか、どっから出てきた説だよと。素でびっくりしましたよ。
確かに革や漆も多用してたけども、鉄を使わないとか、いくらなんでもねえ。
あれかな、日本の甲冑って基本的にいわゆるスケイルアーマー型なうえ装飾も多くて、西洋のプレートアーマーみたいな“これぞ板金鎧! 鉄でできてます!”感が薄いからかな?
※4608452
なんなら元寇の時も元軍より装備の質はよかったからな
元は遊牧民だから軽装ってのもあるが
※4608452
「南蛮胴は凄いですよ!」って宣教師が言ってくるから試そーぜっ!
てことで槍でブッ刺して貫通→へー確かに硬いわ
宣教師製兵器に唖然とかいう話も有ったとか無かったとか
※4608377
カッツよ。三千世界の烏を殺してどうするというのだ
※4608443
一次史料で確認できる限り、日本に南蛮胴が齎されたのは1588年だそうな。
因みに、信長愛用の鎧と伝わるのは、紺糸威胴丸具足。
「信長の野望 大志」のヤング信長の立ち絵が、割と忠実にイラスト化してるよ。
いつもの帽子取るとホントただの黒髪ロング美少女だな
CV:中田譲治でも違和感無さそう
※4608575
実際に戦場で使われたのは関ヶ原の戦いの時にリーフデ号から手に入れたものだしな
南蛮胴を実際に愛用していたのは信長じゃなくて家康だったりする
※4608913
信長に南蛮胴鎧の組み合わせっていつ頃生まれた概念なのかね?
影響力マジヤベーよ
二次創作のノッブって単なる織田信長を名乗る美少女ばかりでツマンネーのな。
あと、信長の刀の代表みたいになってる圧切長谷部の鞘も江戸時代に別の刀を参考に誂えられた品だし、その参考元の鞘が作られたのは圧切を拝領した黒田官兵衛が信長死後に注文したもので信長は見たこともないはず。
更に言えばヘシKill・ハセーベを長谷部国重作と鑑定したのは官兵衛の息子の代になってからで信長生前は大磨上無銘だし、帝都で信長がドヤり水着信長が魔改造した圧切の刀ってほぼ黒田家要素だらけなんだよねえ、みたいな。
※4608386
意外に現存する甲冑は、日本の兜や胴丸が過半で南蛮帽を模した奴などは小数。それも和製南蛮兜。
寧ろ、家康や謙信の方が南蛮胴の鎧は多く持っていたとも。
※4608410
和式に模した奴はそれ以前からあるし、現存品から確定的に言及できるのが関ヶ原以降で、それ以前に無いとは断言できないかと。
※4608920
信長にフロイスが帽子やマントを贈ったら喜ばれた記録や、上杉謙信に洛中洛外図屏風と一緒に贈った緋羅紗洋套(カーパ)が南蛮甲冑のイメージを産んだのかも?
著名な長篠合戦図屏風で南蛮帽か唐人笠を模した兜を兜持ちに持たせていますが、着用しているのは日本の鎧。
※4608452
信長の頃から江戸初期にかけて、西国で流行した桶側胴など伸縮性に優れて徒歩で駆けたり城攻めで山や坂や土居を登ったり、堀や畔に屈んだり伏せるのには向いていたらしい。
その代わり、地面をしっかり踏みしめて槍でまともに突かれると、胴が貫通したそうで。あくまでも、彼我入り乱れての乱戦向きに発達したとか。
対して東国の甲冑は、革よりも鉄の比率が多く重ねも厚く、槍はもとより鉄炮でも小筒や遠間からの銃弾に耐えたとか。馬上で疾走するのが前提の、馬の脚力あっての重さだったとか。
※4608438
血と炎が似合うタイプの儚さと残酷さが似合う
その血と炎が相手にやったにしよやられたにしよ笑っているイメージ
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そういや甲冑のイメージあんまないな