【Fate】テセウス然り韓信然り、英雄は栄枯盛衰あってこそ魅力を惹き立てる。しかし晩年の豊臣秀吉は本当に酷い話が多い
子供居ないけど戦国生き抜いて晩年まで強く居られたって、
あの婆ちゃんは自分こそが本妻!と自負出来るだけ猿が気遣ってたんだろうな
(ノッブに手紙で愚痴ったことはあるが)
婆ちゃん自体が世渡り上手く出来る技量ある強メンタルだったのも大きいだろうが
まあ豊臣は滅びたけど、大事っすね気配りって
木下家にもう少し力があったら第二の北条家になっていただろうな
もしくは性別問わず二人の間に実子がいたら
秀次が存命だったらなぁ
姉の子供の血筋だけど
血筋の理屈よか、猿が生きてる内に豊臣体制固めるのに腐心して、
秀次の次は秀頼の息子とでも遺言しときゃ歴史変わってたカモネー?と思ったり
パンピー出身なんだから分家は多いに越したこと無かったのに…
古い大名でも途絶えるのザラなのに
秀次ぶっ殺し&畜生塚は色々な意味で愚策であった
朝鮮出兵がいらんのよね。んな暇あったら体制固めに時間とりなさいと。
与太話の域ではあるが、朝鮮を足がかりに、
中国・天竺(インド)も狙うたるぜ!と豪語したって逸話も残っとるしなあ
国内じゃアレコレ賄いきれんわーと始めた遠征だが
かと言って、それまで外国攻めて無かったのにいきなり出来る訳無いやん?
とポシャって、むしろ大名の不満の種になっちまったって言う
朝鮮や唐へ攻めていくのは国内を纏める為ってのもあるんじゃろう
秀吉以外だいたいは唐入リ目指すのなんて旨味無さそうだしやりたくなかったと思うが
徳川は御三家に御三卿と続く家は違うなと思う
信じると言うか、私情(誰が好きとか嫌い)を滅して、
家を残すことにビジネスライクになれるかだな
滅私して自分自身すら駒だと思う所存で
そこんとこ狸爺は滅茶苦茶優秀であった
その後司馬懿の孫の司馬炎の晋は身内を重用し八王の乱起こされるという
極端は駄目と言うことだな
ヤッスの暗く淀んだ感じが際立つ
むしろ歴史調べれば調べるほど、猿ヤベーってなったんじゃが
聚楽第落首事件と畜生塚は当時の倫理観でも気が狂ってて闇が深いよ
農民から成り上がった好好爺!じゃない、ドス黒い闇落ち晩年だよ
狸の権現様は、まあ手厳しい策は取るけども実利優先で頭おかしいことはしてない
たまに何やってんのwって逸話はあるけども猿の闇落ちには遥か及ばない
おたあジュリアの件はさすがにないわ
当時の価値観なら、公方様の側室拒否って、
キリスト教捨てるの嫌です!で罰されるのは残当だと思います
そら現代だと違いますけどもね
猿のやらかしは当時でもヤベーから困る
落書きにキレて、犯人全く分からないけど町一つ残酷に虐殺とか
秀次殺すついでに、側室全員処刑(普通、出家させて見逃します)して墓作るの禁じて穴にまとめて埋めますとか
その中には、地元から嫌々来て(親が何度も止めたのに)正式に側室になってなかった15歳くらいの伊達政宗の従姉妹の美少女も居たんだ
「そちは伏見から駿府へと忠勤を励んだこともあり、棄教すれば一切の咎めはないが、もし強情をはるというなら、見せしめに同僚の邪教徒の顔に焼印をしたうえで、島流しとし、さらにはそちにも、遠島を申しつけるがどうじゃ」
(加来耕三著『山内一豊の妻と戦国女性の謎』より一部抜粋)
・・・うん、残当だな!
ちうか体面的な話として、可愛い真面目な子だから異教でも良きかな良きかなw
ってするのも幕府の威光徹底するのに不味かったでしょうしな
ムカついたから罰したって単純な話じゃなく、見せしめでもあったでしょう
江戸時代初期の土台作りしてな時期だから尚更な
島流し後も何回か使者送ってんのは、やっぱり未練があったんじゃないな
まあ家康にもそれなりに負の面はあるってことで。
負だとは自分は思わんけどもなあその話に関してだけ言うなら
当時の価値観でならおかしいことしてないし
体面大事にして裁いた上で使者遣わしてるなら、むしろ優しくね?と
ああ当時の価値観なら側室拒否られたら仲間に焼印鞭打ちしたり指切りとったりするのはおかしくないのかもな
つかそこはむしろ現代的価値観でも、棄教すれば咎めないよと言われたのに、
お断りします!して周り巻き込んだ本人の方がクレージーやんけ
え?脅迫を拒否したほうが周りを巻き込む脅迫した人間よりクレージー?
時代が悪い
マジで凋落そのものでかなしー
テセウス然り韓信然り
逆にそれが魅力を惹き立てるんだなぁ
個人的にはパッと咲いてパッと散る英雄のが好きだわ
悲しくなる
晩年の豊臣秀吉は詳しく調べてみると「えっ、何この人…」ってなる英雄。秀次の事件も後に余波として徳川封じ込めのため東海の旧徳川領に配した豊臣系の大名たち(秀次付きだったため)が肝心の関ヶ原でそっくり家康に付いた。どれだけ権力を持とうとも人間関係って大事。
家康「じゃけん、大阪城の堀埋めちゃいましょうね」